2009 年 1 月 のアーカイブ

もし私が自死するとしたら

2009 年 1 月 31 日 土曜日

私はどうなったら自死を選ぶだろうか?

1.自分が社会的に無意味な存在になったと思ったら

2.自分が家族や友人知人コミュニティの中で無意味な存在になったと判断したら

3.自分の意思とは反したことしかできなくなったら

4.人に迷惑しかかけられなくなったら

5.頼るより死んでくれと周囲のすべての人に願われ始めたら

6.一切の希望を思い描けなくなったら

7.一歩引いて自分の心の中を見つめられなくなったら

たぶん、この7つすべてが満たされたとしたら自分から死んで行くでしょう。

人を「削減する」と表現することそのものが非人間的です

2009 年 1 月 27 日 火曜日

 とうとう、2万人近くの社員を抱えるにもかかわらず、その約半数を削減する会社が現れた。この会社がどうなのかは知らないが、内部留保だって相当あるだろうに、経営危機だ、人員削減って叫ぶ今の企業群はどういうモラルでもって経営をしているのだろう。そんな会社がこれまで存続を許されてきたこと自体がある意味では信じられないのだが、消費者や社会の対し方が甘ちゃんだったということだろうか? しかし、もうこうなった以上、10年20年のスパンで、人々は企業経営者の甘言を信じなくなるだろう。

カップラーメンとうちの子物語

2009 年 1 月 26 日 月曜日

 うちのおふくろはカップラーメンなどは添加物ばかりで健康によくない。ロクに栄養もない、という人だった。その刷り込みもあってか、大学生頃の一時期は食べたけれど、最近じゃあトンと御無沙汰。たぶんこの10年間の間に2回くらいしか食べていない。職場では食べている人もいるけれど、見てもぜんぜん食べたいと思わないし、スーパーではカップラーメンコーナーは目に入りさえしない。

 そんな状況なので、今朝、食事中に2番目から急に「僕カップラーメン食べてみたいなー」と言われて驚いた。「えっ、お前食ったことないの?」。あわててお兄ちゃんにも聞いてみた。「僕も食べたことないよ」。確かにまだ買い食いする年にはなっていないから、親父が買ってやらないと食べたことないんだよなー。お兄ちゃんなんかは、「別に食べたいと思ったことないよ」と言っていたのだが、それもパパママが無意識のうちに遠ざけていたからでは……。

 かくしてうちの子は社会常識のない子になっていくのでした。

犯人もメディアも許せない

2009 年 1 月 20 日 火曜日

 もう消費しつくしたということなのか? 門の前に記者、レポーターはいなくなり、記事も出なくなった。新聞もテレビももう報じない。まだ命を絶たれてから1週間にしかならないのに。いったいあの狂想曲は何のため? 誰のためだったのだろう? 人の死をもてあそぶだけもてあそんで、あとは知らぬふりか。成仏できない教授を悼む。犯人だけでなく、メディアも本当に許せない。

くだらない噂話のネタばかり提供しおって

2009 年 1 月 17 日 土曜日

 この10年くらいの内に世相が大きく変わってきて、今までならありえなかった事件事故が起きるようになってはいたが、これまでほとんど舞台になって来なかった大学で殺人事件が起きたことに、何か堰が切られたような怖れを抱いているのは僕だけだろうか。

 大学を舞台にした殺人事件では十数年に、筑波大学で「悪魔の詩」事件があった。しかしその後は僕の記憶ではなかったはずだ。筑波事件当時から比べると、情報の伝達は何十倍にも速くなり、(質の良いものもだが残念ながら悪いものについても)情報が簡単に手に入るようになった。にもかかわらず、大学でだけは長らくこの種の事件が発生しなかったことに、僕は、ささやかな社会の健全性を見出すことができた。キャンパスの内をメタメタに破壊することはわけのないことだけれども、高等教育の現場としてのある種の気高さや、誰でもキャンパスに受け入れるオープンな雰囲気に対して、社会がそれなりに尊敬を払っているのだろうと思っていた。

 しかし、今回の事件を受けて、そのあたりのギリギリのバランスが崩壊してしまったのじゃないか、という怖さを、僕は心の底から感じている。

 ニュース報道が、原因はなにか、犯人はどこへ消えたか、といった話しかしないのは一体どういうわけだろう。そんなことは遺族と、現場となった大学と、警察と、犯人だけが考えればいいことだ。くだらない噂話のネタばかり提供しおって、今回ほど、ニュースメディアが醜悪に見えたことはない。

亡くなった教授のために

2009 年 1 月 15 日 木曜日

 大学はいろいろな思想、信条、背景を持った人が自由に教育・研究に参加できるオープンな環境だから大学として成立している。オープンなところを悪用して殺人事件を起こすということのはルール違反でしょう。

 人を恨むことはあるでしょう、組織を憎むこともあるでしょう、社会を妬むこともあるでしょう。人間だから。でも、どうあっても後ろから刺すなんざぁ卑怯だと思う。

 もう逃げていないで自首しませんか。

 自分の心の内に矜持、プライド、ルールを持っていない人って哀れだと思う。犯人は犯人なりのルールがあるのかもしれないけれど、誰にも尊敬されないルールじゃあ持っていても仕方がない。

 大量消費社会の中で、一人の命が消費されていく。たぶん、この事件もあと2,3日もすれば誰も振り返らなくなる。そういう酷薄な社会が僕らの望む社会なのだろうか? 意思に反して断ち切られた人生をもてあそんじゃいけないと思う。

反省の日々

2009 年 1 月 13 日 火曜日

 この10年、日本は毎年約3万人の自殺者を出している。しかし、今年はより暗い年になるかもしれない。3万人と言うと3という数字の小ささにあまり実感がわかないが、私の小学校が当時650人くらいだったから、そのイメージで計ると約50の小学校の生徒数だけ人が自ら命を絶っていくということになる。もちろん自殺者全員が小学生ではないので、小学校の数で計るのもややエキセントリックではあるのだが、想像を絶する数であることは間違いない。

 誰もが、周囲の人に自殺なんてして欲しくはないけれど、自殺をしたくなる気持ちを救ってあげられる心の余裕がない。たぶん、ただ一時、その代わり親身に話を聞いてあげるだけで随分違うだろうに。

 仕事帰りなどふと今日のコミュニケーションを振り返り、ああ今日も全くコミュニケーションを取れなかった、と反省することが多い。結果や状況の確認、判断の正否に終始して、気持ちを交わしあうことができなかったな、と思う日が多い。感情をぶつけてくる部下を遠巻きにする日も多い。毎日毎日が反省の日々。

欲張りなのか? な?

2009 年 1 月 11 日 日曜日

 今日は、まぐろのあらを買ってきて、身をこそいでどんぶりにして食べた。あまり丁寧にこそがなかったので、スジにそれなりに身が付いていたのを見て、上さんが「スジもおいしそうだね」。お兄ちゃんも「うん、僕食べる」。というわけで身の盛られたどんぶりの脇に、あらのさらにスジ。

 スジを食べて見たお母さんやお兄ちゃんが「おいしいよ」と言うもんだから、手を出していなかった下の息子もスジの山に手を出してみる。貧乏性なのか? スジだらけで大きく残された塊を口にくわえてみて、「かみきれないよー、これ」。

大学選手権 早稲田が勝って面白いですかねぇ

2009 年 1 月 10 日 土曜日

 大学ラグビーの決勝は早稲田大学の完勝でした。最後の1トライだけは帝京大学の良さが出たと思うけれども、残り10分になるまで相手にペースを握らせないのだから早稲田大学は大したものです。

 今回は正直に帝京大学に勝ってほしいと思っていたので残念でした。帝京大学は大学のカラーは大嫌いですが……、フィフティーンのうち13人を高校日本代表経験者を集める早稲田大学が優勝して、しかもそれを周囲がちやほやするようでは日本のラグビー界はおしまいです。だからこそ帝京大学に勝ってほしかったのですが。

 まあ、対抗戦で早稲田大学の連勝をストップして風穴を開けたわけなので、帝京大学の今季は素晴らしいものでした。また来季に期待しましょう。

にわか陰謀論者、にわか愛国者

2009 年 1 月 7 日 水曜日

 今日の日経新聞夕刊の一面は「39国立病院が債務超過-07年度赤字は全体の1/3」というものでした。国立病院も独法化されて毎年運営費交付金が1%ずつ削減されているんですね。知りませんでした。 

 今日、会社で聞いてきた話では、同じように独法化された国立大学(の某東京〇〇大学)では、やはり運営費交付金が削減され成果主義?が進められていく中で、一部のスター教授(おそらくは外から研究費を取って来れる研究分野の、成果を出している教授?)が専制的に振舞って、もうほとんどアカデミックな場ではなくなってきているのだとか。

 こんなことやっていて本当に国力が上がるのか? こういう風潮が病院や大学にまで入り込むというのは、日本の国情を痛めつけておいて後でうまい汁を吸いたい、某……国の差し金だったりしないのだろうか?